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スティーヴはこの25年の間に300以上の曲をレコーディングし、多くのアルバムをリリースした。25ヶ国以上で2000回以上のギグをこなした。彼の曲はR.E.M., Luna, Concrete Blonde, The Black Crowes, Yo La Tango, Eleventh Dream Dayなどのミュージシャンにカヴァーされ、その中でも彼の曲、"That's Why I Wear Black"はノルウェーでSomebodys Darlingのデヴューアルバムのリーディング・トラックとして、1993年にシングル1位に輝いた。スティーヴについての記事はRolling Stone, Mojo, Uncut, Entertainment Weekly, people, The LA times, New York Timesなどの雑誌に数多く取り上げられている。

80年代にR.E.MやThe replacementsなどのバンドと共にアメリカン・インディー・ロックの基盤を作ったバンド、Dream dicateの革新的な曲でスティーヴをご存知の人もいるのではないだろうか。もしかすると90年代にロック・ラジオ局でよくかかったソロアルバムの曲で彼を知っている人もいるのではないだろうか。あるいは、5回目のギグにしてMute/Elektraと契約し、The black Crowesとアメリカツアーをした評価の高い彼のサイドプロジェクトバンド、Gutterballで、又は、最近の彼のバッキング・バンド、The Miracle3とのギグでスティーヴを知っている人もいるかもしれない。今年の初夏に放映されたアメリカのTVトークショー、David Lettermanでバンド、The Baseball Projectとして出演したスティーヴを観た人もいるのではないだろうか。

Steve Wynnはカリフォルニア、サンタモニカに 1960年に生まれた。ナイロンの弦を張った彼にとって初めてのギターを持ったのは9歳の時。それからまもなく初めての自作の曲"Sing My Blues" を書く。同じ年にバンド"The Light Bulbs"を結成。学校の催し物やパーティーを回って演奏した。13歳までにPurple Passionというカラフルな名のバンドやSudden Death Overtimeというバンドでオリジナルの曲やNiel Young,The Rolling StonesやThe Whoなどのバンドのカヴァーを演奏した。

年を追うごとにスティーヴはスポーツ・ライターになりたいという気持ちが強くなり、ギターの代わりにノートとペンとタイプライターを持ち、フットボール、バスケットボールやベースボール選手にインタヴューし、いつの日か、彼の名前が"Sports Illustrated"に載ることを夢みていた。

高校時代にはスポーツ・ライターになるという信念をもっていたスティーヴだったが1977年のパンクロックの断頭にその音楽の興奮、直接性が彼を再び作曲と演奏に連れ戻した。スティーヴはサクラメントのそばのUC Davisでニューウェイブの草分け的存在のバンド、"Suspects"で演奏し、それ以来演奏していない100曲以上の曲を書いた。その後Suspectsのリードシンガー、Kendra Smithと共にロサンジェルスに帰ってきたスティーヴは、後に国内外その名を知られることになるThe Dream Syndicateとしての第一歩を踏み出した。

The Dream Syndicateは1981年12月に初めてのギグを行い、3週間以内で ファーストEPをレコーディングした。このEPは1982年4月にリリースされ、それから6ヶ月後にはいまでもなお、多くの音楽評論家やファンがもっとも重要なロックアルバムのひとつに挙げるデヴューアルバム、"The Days Of Wine And Roses" をリリースする。この頃の曲、"When You Smile"や"That's What You Always Say"はConcrete Blonde,Lunaによってカヴァーされている。 まもなくバンドはその後アルバム"Medicine Show"をリリースすることになるA&Mレコードと契約する。"Medicine Show"の中の曲はR.E.M.やThe Black Crowesなどによってもカヴァーされ、最近イギリスの新聞Guardianでも"The 40 best rock albums of all time"にその名を挙げられている。

ヨーロッパ、日本、オーストラリアを含む幾年かのツアーの後、1988年の終わりにバンドは解散した。”Dream Syndicateの一員であったこと、自分たちの音楽、そして達成したことに誇りをもっているがこのバンドはもうピークに達していると思う。ピークを過ぎればその後にくるのは落胆だけ。僕はバンドが最高の仕事をしている時に終わりにしたかったんだ。”とスティーヴは語っていた。

1990年にスティーヴのソングライター、レコードメイカーとしての顕著な成長をみせたすばらしい多様性を持ったソロアルバム、"Kerosene Man"を発表する。アルバムの曲、”Carolyn", ”Tears Won't Help"はその年にもっとも頻繁にロックラジオステーションでオンエアされた曲の中の2つで、”Carolyn"のビデオはMTVで6週間にわたり放映された。続いてリリースされた”Dazzling Display"は最も凝った作りのアルバムになっている。過去30年間のベストロックミュージックがとてもよく総合されていて、ゲストとしてR.E.M.のPeter Buck,Concrete BlondeのJohnette Napolitano、The Banglesのメンバー、The Turtles, Lou Reedのツアーバンド、Tracy Chapmanなどがフィーチャーされている。

The House Of FreaksのBryan Harveyとのヴァージニア・リッチモンドでの4日間の曲作りの滞在はスティーヴのサイドプロジェクト、スーパーグループ、プレスから圧倒的な賞賛を得る"Gutterball"の2枚のアルバムリリースとなる。The Black Crowesはバンドがまだファーストアルバムもリリースしていないうちからサポートバンドとしてツアーに連れて行くほど気に入っていた。スティーヴはこのGutterballの成功に続き、"Fluorescent"をリリースする。この中のシングル、"Carelessly"は国内及びヨーロッパで頻繁にオンエアされた。

1994年にスティーヴはニューヨークに移り住む。新しい環境の興奮とエネルギーを彼の続のアルバム"Melting In The Dark"につぎこんだ。これに続く2枚のアルバム、"Sweetness And Light", "My Midnight"は彼のこれからのソロアーティストとして進むであろう音の方向性を示している。2001年にツーソンで評論家に圧倒的な評価をよんだアルバム"Here Come The Miracles"をレコーディングする。このアルバムはすばらしいスティーヴのカムバックと評され、いまもなおたびたび音楽評論家によって語られ、American Federation of Independent MusicによりBest Alternative ロックアルバムに選ばれている。続くアルバム、"Static Transmission", "...Tick...Tick...Tick"も同じくツーソンでバッキングバンド"Miracle 3"と共にレコーディングされ、この3枚のアルバムは総じて"Desert Trilogy(砂漠の3部作)"と呼ばれ、スティーヴのキャリアの中でも数多くのすばらしい作品がはいっている。

しかしスティーヴは安穏とした状態には決してなじまなかった。3枚の"Desert Trilogy"の後に、Green On RedのDan Stuartと新しいDanny & Dustyのアルバム"Cast Iron Soul"を, スティーヴの妻でありドラマーのLinda PitmonそしてスペインのプロデューサーPaco LocoとTwisted Popなプロジェクト"Smack Dab"を、そしてスロベニアに在住のWalkaboutsのChris Eckmanとのコラボで"Crossing Dragon Bridge"を、さらにはPitmon そしてR.E.M.,The Minus 5のScott McCaughey,Peter Buckと共に"The Baseball Project"として2008年にアルバムをリリースしている。このような多忙な中でもスティーヴは一年に100を越えるギグをおこなっている。ローマ、オスロ、アテネ、ブリュッセル、ロンドン、マドリッドなどのヨーロッパの各都市そしてロサンジェルス、ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴやボストンで人気を博し、彼の音楽に魅せられた熱心なファンが多くいる。スティーヴはこの数十年の中で最も冒険的でエキサイティングで才能をも合わせ持ったソングライターのうちの一人である。